“心”と瞑想 その1
◎身体と魂の間にあるものは何。それが“心”
“心”と瞑想についてクンダリーニ・ヨガの概念や考え方を整理して紹介していきます。
一般的な話とは異なりますが、クンダリーニ・ヨガにおいて、“心”は自分ではありません。真の自分であるアイデンティティはそれよりも永遠なものです。 「身体と魂の間にあるものは何。それが“心”」つまり“心”と魂とはべつものということです。
通常、心変わりとか、気が変わったりすることは良くあることです。しかし、真の自己、アイデンティティは変わることがありません。”心”がどのように考えたり、計画したり、アドバイスしたり、議論したとしても、真の自己は不変です。私たちの中で変わらない本質がアイデンティティで、変わるものが“心”ということです。
古典的なヨガの哲学では、この“心”は魂(アートマン)が神から出発し、創造の世界を旅する際に付き添われるものです。それゆえ、“心”は有益な召使いであり、友でもあります。しかし、決してボスではありません。
“心”は個々の存在の本質である魂の召使いとして存在しています。しかし、“心”自体も性格と勢いを持った膨大なメカニズムを持っています。
“心”と魂が一列に整列する時は、知性に刺激された一つ一つの思考が知覚され、明晰さと真実性を持って作用します。それは“心”が魂とつながり、召使いとなる時で、“心”は天使となります。
反対に、”心”が感情や投影、意図、緊張、執着などでいっぱいの時は、思考は違うものとして認識されてしまいます。この仮面をかぶったような思考が多くの間違った判断の原因や実のない誓いとなってしまいます。それは“心”が私たちの主人となってしまう時で、“心”はモンスター化してしまいます。
クンダリーニ・ヨガの実践は、前者のように“心”がそれぞれの思考を明晰に認識し、魂の志向に合うようと取り組むものです。結果として、内なる平和と外の平和が訪れるようになります。別の言い方をすると、私たちの成功や幸福、繁栄の継続は“心”をマスターすることの成果としてやってくるということです。“心”のマスターはクンダリーニ・ヨガの大きな目的の一つで、“心”をコントロールできない限り、それを超えて、自由になることはできません。その自由とは自身の無限性を経験することであり、“心”を超えたところにあります。それは、“心”を投げ捨てたり、壊したり、抑圧することではなく、“心”をより、鋭く、すっきりした、より有益なものにしていくプロセスです。
クンダリーニ・ヨガは、自分の“心”と向き合う習慣を育むものです。肉体的、精神的、または感情的な困難を受け入れ、それに直面した時に中立心を保つことを実践することで、実践者は自分自身の“心”との深い関係を築いていきます。定期的に「心と向き合う」ことで、それを観察し、理解し、最終的には意図的に導くことができるようになります。









